【史上最長片道切符8-3】自家用車すら通らない! 末期すぎた鉄道の廃線跡を徒歩でたどる(上山田線 豊前川崎→飯塚)

【史上最長片道切符8-3】自家用車すら通らない! 末期すぎた鉄道の廃線跡を徒歩でたどる(上山田線 豊前川崎→飯塚)
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「史上最長片道切符」とはなにか

【再生リスト】史上最長片道切符の旅

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史上最長片道切符の旅8日目では、半世紀ほど前まで石炭列車がたくさん走っていた筑豊の鉄路を巡ります。

伊田駅(現・田川伊田駅)から、今では第三セクターの平成筑豊鉄道が運営する伊田線に乗車。かつて筑豊各地からの石炭が集った直方駅に向かいます。そこから筑豊本線で新飯塚、後藤寺線で後藤寺(現・田川後藤寺)、日田彦山線で豊前川崎と進みます。いずれも石炭輸送(一部は石灰石・セメント輸送)のために建設された鉄道です。そこから先、上山田線の豊前川崎~上山田は1960年代、石炭産業が下火になってから開通した特殊な区間ですが、上山田~飯塚もやはり炭鉱からの石炭を運ぶため、明治中頃までに整備された区間です。上山田線の多くの区間は代替バスに置き換わっていますが、川崎町~嘉麻市の境界では代替バスすら廃止されたため、徒歩で移動します。再び筑豊本線に出て、現在は「福北ゆたか線」と通称される区間(筑豊線・篠栗線)を通って吉塚まで行き、福岡市近郊ながらも廃止されてしまった勝田線の代替バスに乗ります。勝田線とは対照的に都市鉄道への脱皮を果たした香椎線に宇美で乗り換え、鹿児島本線との乗り換え駅、香椎駅で今日の旅は終わりです。勝田線も香椎線も、両方ともこのあたりの「糟屋炭田」で採れた石炭を輸送するために建設されました。福岡県の鉄道は石炭と切っても切り離せない関係にあるのです。

今回は上山田線の全区間、豊前川崎~飯塚の廃線跡をたどります。上山田線は、歴史を紐解くと上山田駅を境に2つの区間に分けることができます。

左半分は典型的な筑豊の鉄道同様に、炭鉱から石炭を運び出すために建設されました。19世紀末には建設されており、1920年代まで筑豊本線を名乗っていた、筑豊の中でもかなり歴史の古い区間です。沿線はかつて石炭産業により栄えていましたが、石炭が石油にとって代わられた現在では急速に人口を減らしています。
しかし今なおそこそこの人口を擁しており、鉄道こそ結局廃線になってしまいましたが、嘉麻市の便利なコミュニティバスがそこそこの本数残っており、使い勝手は悪くありません。上山田線の臼井~飯塚を直接結ぶ代替バスはありませんが、駅があった地域の多くから飯塚・新飯塚・桂川などの各駅へ路線バスが延びています。

一方の右半分は、鉄道の歴史としては割と最近、1966年に開業しました。この史上最長片道切符シリーズでは何度もお話ししている「油須原線」つまりは筑豊と豊後水道(苅田港)を結ぶ構想の一部として、漆生線(漆生~嘉穂信号場)と共に建設された区間です。
油須原線はお客さんを運ぶというよりかは、石炭を鉄道で効率よく運ぶことを重視して建設された路線です。しかし油須原線の建設が行われている間、エネルギーの主役は石炭から石油へと一気に移っていき、筑豊の炭鉱が閉山となる動きが加速していたのです。上山田線の区間は開通したものの、油須原線の全区間が開業することはなく、結局廃止まで貨物列車が通ることはありませんでした。
油須原線沿いは山ばかりで人口が少なく、そもそもあまり結びつきがないような地域同士を結んでいました。そのため旅客列車もガラガラであり、廃止時点では一日4往復しか走っていませんでした。廃線後に設定された代替バスもわずか5年で廃止され、真崎~熊ヶ畑の峠越え区間をまたぐバスは完全に消滅しています。
今回、真崎駅付近から熊ヶ畑駅まで徒歩で移動しましたが、途中自家用車とすらほとんどすれ違いませんでした。車すらほとんど通らないのに、代行バス、ましてや鉄道などを残す意味など無かったことが容易に想像できます。

この動画では、フリー動画サイト「DOVA Syndrome」からダウンロードした以下のBGMを利用しています。
(作曲家名は敬称略)

Daily Accumulation 作曲:Anonyment
https://dova-s.jp/bgm/play16110.html
轍は続くよどこまでも的なBGM 作曲:鷹尾まさき(タカオマサキ)
https://dova-s.jp/bgm/play13534.html
Little Braver 作曲:GT-K
https://dova-s.jp/bgm/play4003.html
Let’s! 作曲:カワサキヤスヒロ
https://dova-s.jp/bgm/play8503.html
World Heritage 作曲:雨宮
https://dova-s.jp/bgm/play3881.html

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日本は世界有数の鉄道大国です。鉄道を愛好する人の数も世界と比べて圧倒的に多く、桜が咲き誇る時期にも、雪に閉ざされる季節にも、多くの「鉄道ファン」たちが全国に足を延ばし、各地で汽車旅を楽しみます。

そんな「鉄道ファン」の間で、究極の鉄道旅行とされているものが「最長片道切符の旅」と呼ばれるものです。
JRでは、ルートが1本の線になっていさえすれば、基本的にいくらでも経路の長い乗車券を買い求めることができます。そのルールをもとに、理論上考えられる最長の経路となるものが「最長片道切符」と呼ばれる切符です。
1枚の切符で、日本列島の北から南までいろいろなところを巡りながら旅をすることができ、毎年多くの鉄道マニアがこの切符を買って旅行をしています。

現在、最長片道切符の経路の長さはおよそ1万キロです。しかし時代をさかのぼれば、JR、そしてその前身である国鉄は今よりはるかに多くの路線を持っており、もっと長い距離を1枚の切符で乗ることができていました。最もその経路が長かったのは、1982年6月23日から同年6月30日までの間です。鹿児島県の枕崎駅から、九州、本州、四国、また本州に戻り、東北地方を北上して北海道の様似駅まで、総延長13423.7キロメートル。極東のロシア・ウラジオストクから、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬まで行けてしまう長さです。

今回私は、この「史上最長片道切符」のルートを全てたどる旅を行います。途中には廃止された路線を通る区間もあるので、すべてを鉄道でたどることはできません。そういった区間では、並行して走っているバスに乗ります。ところどころ存在する、バスすら廃止されてしまった区間では、徒歩で移動することもあります。
1982年から2022年、40年の月日がたち、「史上最長片道切符」の沿線地域の交通事情は大きく変化しました。その時代の流れを皆様にご紹介しながら旅をしていきます。

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